安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「後生の一大事」について(名無しさんのコメント)

名無しさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

後生に驚くというお話ですが、
以前、仏教は後生の一大事を知るところから始まり、後生の一大事の解決で終わる、
と聞きました。
これは正しいのでしょうか?
(名無しさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090420/1240178380#c1240199819

回答します。「後生の一大事を知るところから始まり、後生の一大事の解決で終わる」という言葉自体は間違いではありません。

この「後生の一大事」という言葉をどういう意味として聞くかによっては、正しいとはいえなくなります。
「後生の一大事」という言葉は、蓮如上人の御文章にでてきます。

されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。(御文章5帖目16通・白骨)

人間のはかないことは、老少不定で年に関係なく誰が先に死ぬか分からない世の中だから、はやくこの後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみ、救われて、お礼の念仏を称える身になりなさいと言われています。
ここでいう「後生の一大事」とは、「いつ無常の風に吹かれるか分からない」ことであり、「人間いつ死ぬか分からない」ということです。
諸行無常と言われるように、この世の中でいつまでも変わらないものは1つもありません。そこで仏のさとりを教えていかれました。

浄土真宗で言いますと「後生の一大事の解決で終わる」といった場合は、前者の意味で言いますと、「死ななくなる」とか「死の克服」ということになり、意味が異なってきます。
「解決で終わる」といった場合は、ただ今弥陀に救われて、往生浄土の身になることをいいます。

「仏教では」という説明ですが、あえていうなら「浄土真宗では」、ただ今弥陀に救われ、往生浄土の身となり、浄土に往生することに終わります。