安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

何を助けるのが阿弥陀仏の本願か?(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

結局、何を助けてもらうのでしょうか?助けてもらわないといけない私なのでしょうか?
それがはっきりしないと、真剣に弥陀をたのめないように思います。

後生はっきりしない心を、後生明るい(極楽往生一定)心にして頂くのだと思うのですが、心がいつもぼんやりしているので・・。
理屈では、無常の命、殺生ひとつとっても悪果がきて当然だと思っているのですが緊迫感が足りなくて。
(maryさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090326/1238023363#c1238067866

阿弥陀仏は何を助けて下さるのか、ということについてですが、回答をいたします。
蓮如上人は、以下のように言われています。

然れば、爰に弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なれば、久遠実成の古仏として、今の如きの諸仏に捨てられたる末代不善の凡夫・五障三従の女人をば弥陀にかぎりて、『われひとり助けん』という超世の大願を発して、われら一切衆生を平等に救わんと誓いたまいて、無上の誓願を発して、已に阿弥陀仏と成りましましけり。(御文章2帖目8通・本師本仏)

阿弥陀如来という仏は、三世十方の諸仏の本師本仏であるから、諸仏に捨てられた、末代不善の凡夫、五障三従の女人を阿弥陀仏だけが「われひとり助ける」という世を越えた本願を起こされ、すべての人を平等に救うと誓われて、無上の誓願をおこされて、阿弥陀仏となられた、と言われています。

蓮如上人が言われているように「末代不善の凡夫、五障三従の女人」が阿弥陀仏が助けると言われている相手です。
後生明るい心にしてくだされるというのは、救われた結果そうなるということです。また、救うために真実信心を与えてみせるといわれているのです。

「末代不善の凡夫、五障三従の女人」とは、「煩悩具足の凡夫」とか「煩悩熾盛の衆生」と意味は同じです。また「五逆誹謗正法」と本願に誓われている姿です。

三世の諸仏に捨てられた者と、ハッキリしないすがたが後生暗い心といわれる心であって、後生明るい心になれば、三世の諸仏に捨てられた者と知らされます。
救われるのは、「末代不善の凡夫、五障三従の女人」であり、「煩悩具足の凡夫」であり、「五逆誹謗正法」の者なのです。