安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「ここ一つ聞き抜く」の「ここ」とは何かを知ることがまず大事

kaiinさんよりコメントを頂きました。
全文はこちら (http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20081105/1225876366#c1226150707

親鸞会でも真剣に聞法をしたら獲信できるとお考えでしょうか。ご回答よろしくお願いいたします。
(kaiinさんのコメントより抜粋)

結論からいいますと、火中突破の聞法心になれば、弥陀の願力によって信心決定の身になれます。

「親鸞会でも」という言葉は、「○○に行けば獲信できと思うけど、親鸞会では難しいのではないでしょうか。それでも獲信できますか?」という質問のように読めてしまいます。

聞法する場所が、獲信と関係あるのではありません。○○にいるから、信心決定できるだろうという気持ちで聞法されているのなら、いつまでたっても火中突破の気持ちにはなりません。

仏法を聞く目的は、信心決定です。弥陀の救いにあうことです。
お釈迦様も、親鸞聖人も、火の中分けて法を聞けと言われています。

 たとい大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなうなり (浄土和讃)

蓮如上人も、五重の義の最初に、宿善(聞法心)をあげておられます。

これによりて五重の義を立てたり。一には宿善、二には善知識、三には光明、四には信心、五には名号、この五重の義成就せずは、往生は叶うべからずと見えたり。
 されば、善知識というは「阿弥陀仏に帰命せよ」と言える使なり。宿善開発して善知識にあわずば、往生は叶うべからざるなり。(御文章2帖目11通・五重の義)

 もちろん仏法を説かれる善知識が大事だと言われていますが、その前に「宿善開発して」と言われています。
「宿善開発」が先なのです。「宿善開発」とは、聞法心が起きたとき、何としても聞き抜かねばならぬという気持ちが起きた上での、善知識なのです。
火中突破の聞法心が起きた上で、善知識にあわずば往生はできないと言われているのです。

火中突破の聞法と言っても、何を目的に聞くのか、阿弥陀仏に現在ただ今救われること以外にありません。
現在の弥陀の救いを求めるのが先(目的)で、その方角(手段)を教える方が善知識なのです。手段と目的を反対にしてはなりません。

ですから、蓮如上人は、上記の御文章の最後にはこの様に教えておられます。

しかれども、帰するところの弥陀を棄てて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、大なる過なりと、心得べきものなり。(御文章2帖目11通)

「易往而無人(往きやすくして人無し)」と言われるように、信心を獲る人は確かに多くはありません。その中で、人に法を説き続けられる善知識と呼ばれる方はなかなかおられません。稀なのです。

しかし、善知識がいれば、信心決定ができるのではないのです。救って下される弥陀を抜いて、善知識(誰に聞いたら)で信心決定が決まるのではありません。

最も大事な聞法心を横において、知識ばかりを問題にするのは、本末転倒です。
ただ、kaiinさんが現在どんな気持ちで聞法されているのか、そのあたりは、頂いたコメントだけでは分かりません。

救って下されるのは阿弥陀仏であり、善知識ではありません、組織でもありません。お尋ねの不審については、それはそれとしての別問題です。
法律的問題なら法律に沿って、道徳的問題は道徳に沿って、対処、改善されなければならないものです。

組織行動における問題、あるいは個人の問題は、その組織、その個人の問題であって、弥陀の本願はそれによってどうこうなるものではありません。

信心決定は、あくまで聞法する者と、阿弥陀仏の問題なのです。救う阿弥陀仏は、本願を建てられたときから、どうにかどうにかと働き続けておられます。
それなのになぜ信心決定できないのか、信心決定する人が少ないのか、善知識はもちろん大事ですが、真実信心を獲た、同行・善知識とご縁があっても、火中突破の聞法心を発す人が少ないからです。

今日こそ信心決定するぞと、「本気」で思って聞法している人はあっても少ないのではないでしょうか。
「ここ一つ聞き抜くぞ」と思って、聞法している人はどれだけあるでしょうか。
その証拠に、「ここ一つ」と口で言っても、その「ここ」が何かを知って聞いている人はどれだけあるでしょうか。
ここ一つ聞くという「ここ」が分かってこそ、火中突破の聞法心がおきるのです。

「ここ一つ聞き抜かずばおくまい」という気持ちは、決して気合いや集中力などといった一時の感情ではないのです。聞き抜く「ここ」が分かれば、必ずそういう気持ちになるのです。

必ず信心決定と言うことはあります。阿弥陀仏の本願はまことなのですから。
kaiinさんの気持ち一つです。

今はどんな気持ちで聞いておられるでしょうか?またコメントいただけたら有り難く思います。思っていることがあればそのまま打ち出してください。