安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

信心の沙汰では、「我が心中を同行の中に打ち出すべし」(りかちゃんのコメントより)

りかちゃんへ

コメント有り難うございました。
(全文はこちら http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080728/1217240310#c

「どうしたら、相手の心が少しでもわかる人になれるのか?」

上記のお尋ねについて、お答えいたします。

信心の沙汰の場ということで考えますと、信心(信仰)のことですから、一番は話しをする相手と同じ道を、話しをきくひとが実際通ってきたと言うことが大事です。

真面目に求めている人の、信仰上の悩みや質問は、実際に真面目に求めてきた人でないと、理解もできませんし答えることもできません。

信仰上どうしても疑問が起きることでも、「つべこべ言うな」と言われれば、誰でも話しを聞く気がなくなってしまいます。

また、話す方も、聞いてもらえない、聞いてもらっても理解してもらえないとなると話す気が起きなくなるでしょう。

信心の沙汰とは、知識の沙汰でもなく、教義の確認(これも大事ですが、あくまで信仰が問題になった上でですが)だけでなく、自らの心を打ち出すことが大事です。

我が心中をば同行の中へうち出しておくべし、下としたる人のいうことをば用いずして、必ず腹立するなり。あさましきことなり。(御一代記聞書)

と、蓮如上人も仰有っています。

相手の心を分かるには、自分が上に立ってものを言ったり聞いたりしている間はなかなか難しいですね。


まず自分の心中を、同行の中に打ち出していくことが大事です。
とくに、信仰がまだ自分は浅いと思われるのなら、年数に関係なく、打ち出さないと直されません。
また、自分より年下、後輩から言われたことに対して、それを受け入れず腹を立てていては、まったく浅間しいことです。


分からないことは分かったふりせず、分からないといい、相手のいうことに真摯に耳を傾けることが信心の沙汰では大事です。
一番いいのは、信仰の徹底した人がその場にいるのが一番いいのですが、それができないときは、蓮如上人の言われたようにするのが、相手の心がわかる近道です。


信心の沙汰の目的は、信心決定以外にありませんので、とても大事なことです。