安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「阿弥陀仏に見捨てられるのではないかは思うと不安になります」(頂いた質問)

阿弥陀仏に見捨てられるのではないかは思うと不安になります。(頂いた質問) 阿弥陀仏が貴方を見捨てるということはありません。それは、阿弥陀仏の光明は無礙光であり不断光であるからです。親鸞聖人は、弥陀如来名号徳で、それぞれ以下のように言われてい…

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親鸞会の支部長(元は高森顕徹会長)が「深信=確信」といっている件 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

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自分が救われないことを正当化する親鸞会講師部員と電話して思ったこと - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

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難信を通り越して「信を獲た人はいない」と主張を変えてきた親鸞会(顕正新聞2014.4.15より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「ただ今救われると聞いても、心が南無阿弥陀仏を受け取れるように整えていなければならないのではないかと思います。」(頂いた質問)

ただ今救われると聞いても、心が南無阿弥陀仏を受け取れるように整えていなければならないのではないかと思います。(頂いた質問) 阿弥陀仏は、南無阿弥陀仏となって私に向かって働きかけておられます。それを「ただ今助けると喚んでおられる」「南無阿弥陀…

「救われても何も変わらないと聞くと、では念仏を称える時はどんな心で称えているのでしょうか?私は念仏を称えていても何も感じないといいますか、これで助かることがあるのだろうかとか考えてしまいます。」(頂いた質問)

救われても何も変わらないと聞くと、では念仏を称える時はどんな心で称えているのでしょうか?私は念仏を称えていても何も感じないといいますか、これで助かることがあるのだろうかとか考えてしまいます。(頂いた質問) 南無阿弥陀仏が私を助ける法そのもの…

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書評12「なぜ生きる2」(1万年堂出版 高森顕徹著)より「信心は大悲の願船に乗った風光」ではありません。 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「南無阿弥陀仏を聞いているのが信心と以前のエントリーで読みました。現在、南無阿弥陀仏と称えて聞いていますが、それは以前からしていることです。聞いているけれど、聞き受けていないということでしょうか?」(頂いた質問)

南無阿弥陀仏を聞いているのが信心と以前のエントリーで読みました。現在、南無阿弥陀仏と称えて聞いていますが、それは以前からしていることです。聞いているけれど、聞き受けていないということでしょうか?(頂いた質問) 南無阿弥陀仏を聞いて、私を助け…

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「『若不生者』の『生まれる』はこの世で正定聚に生まれることだ」の主張をこっそり翻した高森顕徹会長(宗教法人浄土真宗親鸞会)顕真平成26年4月号を読んで - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「真実信心を賜れば凡夫の身でありながら『心は浄土に遊ぶ』ような心境に本当になれるのでしょうか?」(Aさんのコメントより)

A 2014/05/10 17:48 親鸞聖人の和讃に 超世の悲願ききしよりわれらは生死の凡夫かは有漏の穢身はかわらねど こころは浄土にあそぶなり という詩がありますが、真実信心を賜れば凡夫の身でありながら 「心は浄土に遊ぶ」ような心境に本当になれるのでしょうか…

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30年以上本願寺派へ事実無根の批判をしていた親鸞会(親鸞会公式サイトを見て) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「疑い晴らすのも、信じさせるのも阿弥陀仏のお力だと聞いていますが、そうならばなぜ今自分は救われていないのかと考えてしまいます。」(頂いた質問)

疑い晴らすのも、信じさせるのも阿弥陀仏のお力だと聞いていますが、そうならばなぜ今自分は救われていないのかと考えてしまいます。(頂いた質問) 疑いを晴らさせると信じさせるは、言葉は違っても一つのことを言っています。 疑いを晴らさせてから信じる…