2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧
前日のエントリーに頂いたコメントについて書きます。 ループ 2013/08/30 02:44 お聞きいたします。 >救いに必要のない「私」を捨てよと阿弥陀仏は言われています。これはどの経文のことを仰っておられるのでしょうか。 ここで仰った「私」と、>どれだけ「…
疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問) 信心に対する「疑い」について、前回に引き続き書きます。疑いについて、別の言葉でよく使われるのが「自力心」または「自力の心」です。 横超とは、本願…
疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問) 親鸞聖人の書かれたものの中で、疑いについて言われている部分はいくつもありますが、その中から今回は一つ紹介します。 疑いを無明といわれた部分 「摂取…
ぱるるさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 ぱるる 2013/08/22 01:01 質問です。 真宗では救われるということは浄土往生のことですよね。けれど世間で救われるという言葉は悩みがなくなったり、希望がわくことだと思います。そのように言…
8月20日の記事を読み私も同じように考えています。阿弥陀仏に救われる方法はないと聞けば、どうしたらいいのかと考える一方、今ではなくてもあるとき救われるのではないかと期待をしています。(頂いた質問) 阿弥陀仏の救いを、距離はともかく遠くに眺め…
阿弥陀仏の本願をそのまま聞く一つだと聞いております。しかし、私の心の内を正直に言えば、何かで心がある到達点にいたってはっとわかるんじゃないかと思っています。そして、その状態を待っている状態です。これでよいものかと思いながら、そうするしかな…
十劫安心の定義は教学聖典の通りに覚えたら間違いです(親鸞会機関誌顕正新聞平成25年8月1日号より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ
「この世どんな体験があったにせよ、最も重要な後生についてどうなるか分からないのなら、信前の私と何も変わらないとしか思えません。」(1年生さんのコメント_安心問答より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ 1年生さんのコメント内容から判断して、…
ひな 2013/08/16 09:32 山も山さん、「信後の死後の見え方」についてお尋ねしたいと思います。私は今まで「後生の一大事」が気になって、仏教を聞いてきました。 と言っても、死ぬのが怖くて仕方がなかったという訳ではありません。 私は「無常観」よりも「…
親鸞会でいう「五重の義」について思うこと(宿善は、善をすることで厚くなるは本当か?) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ
ひな 2013/08/11 09:20 山も山さん、「信後の罪悪観」についてお尋ねしたいと思います。親鸞会にいた時は、人や生き物に対する罪悪しか見えていませんでした。 人や生き物に対して悪を造ると、(こんなことをしていたら、ロクな結果が来ないぞ・・・)という悪…
前のエントリーのコメント欄より、でんさんのコメントについて思ったことを書きます。 「そのまま」についてです。 たかぼー 2013/08/08 11:30 「そのまま救う」という如来の仰せについては、既にいろいろなところで聞いていると思いますが、ご質問されてい…
阿弥陀仏に救われるとは、阿弥陀仏の仰せをそのまま聞くということですが、そのまま聞くための心の向きというのはあるのでしょうか?阿弥陀仏に救われたいと思うものの毎日変わらない日々を過ごしております。(頂いた質問) 阿弥陀仏に救われたいの思いと「…
「十九願で勧めれれている修善は、無上仏にむかって力いっぱいする善だから、純粋な心が問われます。 では、自分はどうか。」(顕真平成25年7月号より)を読んで思い出した唯信鈔のお言葉 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ
ひな 2013/08/01 17:01 山も山さん、「信後の煩悩の見え方」についてお尋ねしたいと思います。私は親鸞会で「煩悩即菩提で、苦しみが喜びに転じ変わる絶対の世界がある。」と長年聞かされ続けてきました。 その為、親鸞会にいた時には(獲信すると精神構造が…