安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

阿弥陀仏の願心について

bsfさんのコメントからエントリーを書いたものの追記として書きます。阿弥陀仏の本願は、もともと修行できるような人を目当てに建てられたものではありません。煩悩具足の凡夫を目当てに建てられたものです。 煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をは…

本願と信心の沙汰について(アドウチさんのコメント)

アドウチ 2012/08/25 02:31 本願は、私の心の状態に関係なく救って下さると聞いていますが、その反面 信心の沙汰 をして自分の心をありのままに打ち出すことが大事だとも聞いております。 この前者と後者の違いをどう解釈すればいいのでしょうか。 http://d.…

「計らうのは自力、その計らいを捨てることも阿弥陀仏の働きなら、救われた人とそうでない人の違いは何のでしょうか。」(bsfさんのコメント)

bsf 2012/08/24 19:10 阿弥陀仏の呼び声を聞こうと何かしようとするとすべて自力。 かと言って何もしなければ、ほんとに何もしてないだけ。 というよりも、救われるために何もしようとしないのもやっぱり自力。自分の計らいをすてて、そのまま聞くだけという…

「十刧安心との違いを説明していただけませんか。」(田中屋さんのコメントより)

田中屋 2012/08/22 20:01 十刧安心との違いを説明していただけませんか。 よろしくお願いします。 http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20120822/1345627431#c1345633265 十劫安心とは何かについて最初に書きます。御文章に十劫安心について以下のように書かれて…

「才市が仏で、仏が才市であるところに「なむあみだぶつ」がある(日本的霊性 鈴木大拙著より)

最近読んだ本より紹介します。日本的霊性 (岩波文庫)作者: 鈴木大拙出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1972/10/16メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 45回この商品を含むブログ (60件) を見る 「なむ仏はさいち(才市)が仏でさいちなり。 さいちがさとりを…

どうしたら信心決定できるかと考えるのはよくないと聞きますがなぜでしょうか?(頂いた質問)

どうしたら信心決定できるかと考えるのはよくないと聞きますがなぜでしょうか?悩んでこその聞法求道ではないでしょうか?(頂いた質問) どうしたら、どうしたらと心配したり悩んだりすることは決してよいことではありません。 お尋ねの文章から理由を二つ…

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(浄土真宗親鸞会会長)高森顕徹氏の死後へ舵を切り始めた親鸞会を機関誌から考える。 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

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「同朋の里のダムはムダでした」顕真8月号巻頭言より - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

ただ今救うの仰せを聞いて疑い無いのが信心と聞きましたが、そのように聞いているつもりですがこれでよいのでしょうか?(頂いた質問)

ただ今救うの仰せを聞いて疑い無いのが信心と聞きましたが、そのように聞いているつもりですがこれでよいのでしょうか?(頂いた質問) 信心の定義は、本願を聞いて疑い無いことですが、そのように聞いているつもりだから大丈夫だろうと、自分の聞き方に目を…

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2012年8月5日の親鸞学徒追悼法要を突然休んだ高森顕徹会長(親鸞会) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「いろいろとお話を聞いて、これで信心決定なのかと思いますがどうでしょうか?」(頂いた質問)

いろいろとお話を聞いて、これで信心決定なのかと思いますがどうでしょうか?(頂いた質問) 私に信心決定しているか否かを尋ねられても、私にはわかりません。逆に、私が「それが信心ですよ」と認定すれば、土蔵秘事・知識帰命と同じになってしまいます。加…

疑情とはなにか2

GTO 2012/07/31 23:38 yamamoya さんご説明が全く理解できない訳ではないのですが、結局のところ疑情と煩悩は同じものなのでしょうか? それとも異なるものなのでしょうか?疑情=煩悩と初めに説明されたこととの論理矛盾が未だ解消されていないように受け取…