2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧
親鸞会公式サイトの「仏法は聴聞に極まる」の記事についてどう思いますかと尋ねられました。お尋ねの部分を読んで見ました。いろいろと思うところはありますが、以下の部分について書きます。 「弥陀の呼び声」を聞く(真)聞即信の一念まで、釈迦の教えをき…
阿弥陀仏をたのむということは、阿弥陀仏をより深く信じていくということなのでしょうか?(頂いた質問) より深く信じるかどうかになると、どれだけ信じられるかどうかが問題となります。 深く信じると言う言葉が、段階的な意味で言うならば、自分の心がよ…
種々考えてみましたが、どうにもこうにもならずお手上げの状態です。(頂いた質問) 考えてもわからないことなので、阿弥陀仏は呼びかけてくださっています。 始めて行く土地を旅するときに、道がいくつもわかれていれば、こっちの道へ行ったらいけるだろう…
親鸞会では、体験告白は自慢話であり聞く必要は無いという一方、親鸞聖人の三願転入の御文は「親鸞聖人の体験告白」といってよく話をしています。また、信仰を自分の言葉で語る人には近づくなといっています。体験告白といっても大きく分けると2つあります…
阿弥陀仏にまかせる他にないとは聞いていますが、実際は、まかせているつもりですがなかなか不安な心がなくなりません。(頂いた質問) 阿弥陀仏にまかせているけれども不安であるという心は、どういう心かを考えて見ます。 阿弥陀仏にまかせるよりほかにな…
すべて阿弥陀仏の力と聞くと、結局どうしたらいいのかわからなくなりました。本当に何もしなくていいのでしょうか?(頂いた質問) 全て阿弥陀仏の力と言いますのは、私を救うお働きは全て南無阿弥陀仏の中にあるということです。「何もしなかったら助かる」…
前回のエントリーに関連して、頂いた質問について書きます。 助けられる努力は不要という説明は分かりました。 しかし、それまでは真剣に聞こうとしたり、なんとか助かろうと思うことは大事なのではないかと思います。そういう気持ちは大事ではないのでしょ…
阿弥陀仏に救われるのに、なにか努力が必要なように思います。弥陀をたのむとか、自力を捨てよといわれると、阿弥陀仏をたのむため、自力を捨てるためには何かしらの努力は必要なのでしょうか?(頂いた質問) 自分の力で助かるのでしたら、ちょっとどころで…
このエントリーに書くことはタイトルの通りです。 ネット上では、親鸞会に対する教義批判や体質批判がよくされています。特に教義批判に関して、正面切って答える講師部員がいないということがよく書かれています。 いろいろ言われながら、なぜ彼らは教義批…
前回のエントリーを書いている途中に思い出したことを、追記として書きます。質問された方と同じ事を考える人の多くは、 「(19願ですすめられる善が)できるかできないかやってみなければわからない。だからやりなさい」という話を聞いてこられた結果そのよ…
ただ今救われる本願だと聞きますが、以前聞いてきた話の影響なのか、どうしても阿弥陀仏に救われると言うことは大変難しいことのように思います。オリンピックで金メダルを取るよりも難しいと聞いたこともありますが、本当に助かることがあるのでしょうか。…
前回のエントリーの続きです。補足としてエントリーを書きます。 どうか助けて下さいと思うことは自力なのでしょうか。(でんさんのコメントより抜粋) どうか助けて下さいと思うことによって救われないのは、先手後手が逆になっているからです。 阿弥陀仏の…
でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「たのむ」の意味を「あてにする」と聞いてますが、仰る通り、何か行動を起こすことのように感じております。 どうか助けて下さいと思うことは自力なのでしょうか。 それとも、願力によって助けて…
前回のエントリーの続きを書きます。 おまかせしなさいと言われると、おまかせしようとしてしまい自力の計らいの無い、おまかせ状態にはならないのです。(頂いた質問) まかせるというのも、阿弥陀仏の仰せにまかせるのですから、信心ということです。 また…
おまかせしなさいと言われると、おまかせしようとしてしまい自力の計らいの無い、おまかせ状態にはならないのです。「阿弥陀仏の仰せにおまかせする」とはどういうことなのでしょうか。(頂いた質問) 阿弥陀仏におまかせするとは、別の言葉で言いますと、阿…
某会の会長の作に触発されて作られたそうです。ーーーーーーー 体験談 弥陀の御恩に花が咲く。体験談 弥陀一仏の ほかはなし体験談 自力疑いさらになし口開けば 我が身懺悔に 弥陀誉める自惚れも 罪もそのまま われ救うこうなった 法につかわれ 恩返し苦労し…
でんさんへのエントリーの続きです。 話では待つべきでない(救われるべき)と分かってはいたけれど、 待っていた気がして恥ずかしいです。なんで理解と行動が伴わないのでしょう。 しかし、何もする必要がなく、待つ必要もなく、それでいて「たのめ」とは……