安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

今救われたいと思う心とそれを利用する心(MMAさんのコメント)

MMAさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「今、救われたい」という気持ちで阿弥陀仏に向かうことが大事だと思いますが、私にはその「今、救われたい」と強く願う心を阿弥陀仏に差し向けて助けてもらう手立てにしようとする心があるように…

無常観について・仏法に明日はないについて(頂いた質問)

最近、無常を強く感ずる機会があり、短時間でしたが胸が締め付けられるような苦悶の状態になり、阿弥陀仏の本願を聞き開かずしてはこの苦はもう抜けない、と思いました。 (略) この体験から「無常観(感)」こそ、ただ今に救いを求める原動力、救いを獲る…

本願ぼこりについて(頂いた質問)

本願ぼこりとはどういうことでしょうか(頂いた質問) 本願ぼこりとは、阿弥陀仏の本願はどんな悪人でも助ける本願だと甘えることです。ただ、そういう本願があるからと、悪に誇る人たちをまた「本願にあまえてつけあがる」と批判される時にも使われる言葉で…

往生といえば、死んで弥陀の浄土に生まれること。往生定まる時が平生(さとるさんのコメント)

肉体持つ人はまだ信心獲得していなくて、信心獲(得はまだ、死んでから)ということなにりますが、肉体有るうちは信心獲得ではなく「信心獲」という状態なのでしょうか?聖典などを見ていきましても、往生が肉体の滅後と説かれている箇所がみつかりませんで…

一念は私の驚天動地の体験ではありません(頂いた質問)

阿弥陀仏の救いは一念の救いとお聞きし,そこに驚天動地の体験があるように勝手に思い込んでいましたが,そんなものではなかったということでしょうか。(頂いた質問) 阿弥陀仏の救いは一念の救いです。しかし、「一念=驚天動地の体験」ではありません。 …

「道」は「ただ今」とは、相容れないもの(頂いた質問から思ったこと)

「後生の一大事の解決」という言葉が頭にこびりついています。(頂いた質問より) 後生の一大事の解決と言う言葉について、改めて思ったことを書きます。 親鸞会では、後生の一大事の解決という言葉と同時に、求道という言葉がよく使われています。 「道」と…

日々知らされることは何か?(たかしさんのコメント)

私も具体的にというところが気になります。 例えば、私たちの日常生活においてどのように受け取る事ができるのでしょうか。日々自分の言動に反省するような事も多々ありますが、 そのように気づかされる事が息絶えるまで続くことが智慧の働きなのでしょうか…

私の因が信心ではありません。(さとるさんのコメント)

さとるさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 私が「まかせた」結果救われるのであれば、前回のエントリーで書いたように、「→」の関係になります。 http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100311/1268256424 信心獲得とは、 ・獲は因位 ・得は…

智慧(光明)のはたらきについて(さとるさんのコメント)

私を助けようという智恵の働きそのものが、阿弥陀如来であり、 http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100312/1268342621 ・智恵の働きとは、具体的にどのようなことでしょうか? ・それが、どう私を助けてくれるのでしょうか?(さとるさんのコメント) http://…

阿弥陀仏は来られるのではなく、おられるのです(頂いた質問)

阿弥陀仏が飛び込んできて下されると思っていますが、なかなか飛び込んで来てくださいません。(頂いた質問) 阿弥陀仏が飛び込んで来て下されるというのは、振り返ってそのように表現される方があっても、絵像や木像に描かれたような阿弥陀仏が、目の前にド…

聞いたそのままについて(頂いた質問)

前回のエントリーの補足です。 阿弥陀様にまかせることは私に出来ることなんでしょうか?私の方が先にまかせたいという思いのせいですか? 同じことを何度も何度もお聞きして申し訳ないのですが、「聞いたそのままが、他力の信心です。」の 聞いたそのまま …

助けるぞ→助かるぞ ではなく、助けるぞ=助かる です(頂いた質問)

私は、機無と言いながらも「どうしてもつかもう」、「確信が欲しい」、「阿弥陀仏の勅命がわが心にハッキリと呼び声となってきこえてくださる」と思ってしまいます。 そうでないと安心ができないような気がします。 しかし、「まかせている状態」とよく教え…

一向に自力ではなく、一心一向に弥陀に帰命です(nowhereさんのコメント)

nowhereさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 元々何もないのですから、捨てることや、顧みないことに躊躇はいりません http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100306/1267864104 ここのところがすっと入ってきません。元々何もない、と諦めが…

阿弥陀仏は背を向けられません(前回の補足)

前回のエントリーの補足です。 他力の信心は、「助かりたい」という私に、「助けてやるぞ」と阿弥陀仏が動いてこられるものではありません。 元来の私は、阿弥陀仏の方をむいている者ではないので、私が働いたことに対応してくださるのではなく、阿弥陀仏の…

他力の信心は私のものではありません(Rudelさんのコメント)

Rudelさんからコメントを頂きました。有り難うございました。 (自分が)助かりたい」という前提で仏法聞いているので、「助かるとか、助からないとか、往生出来るとか出来ないとかは、全部南無阿弥陀仏の受け持ち」と言われると、困ってしまいます。阿弥陀…

そのままとは、きいたそのまま。補足2

聞いたそのままの、補足エントリーその2です。他力の信心は、本願を聞いたそのままということについて書いてきましたが、その補足です。他力の信心は、聞いたそのままということは、別の言葉で言いますと、他力の信心は、そのものがらが私にないということ…

そのままとは、聞いたそのまま、の補足

聞いたそのままということについて、前日エントリーの補足です。聞いたそのままとは、どういう事かについて、蓮如上人の御文章から紹介します。 さてわが身の罪のふかきことをばうちすてて、弥陀にまかせまゐらせて、ただ一心に弥陀如来後生たすけたまへとた…

そのままとは、聞いたそのままということ(頂いた質問)

阿弥陀仏の救いは、そのままの救いと聞きますが、そのままと聞くと「このままで何もしなくてよいのだろうか?」と思います。(頂いた質問) 阿弥陀仏の救いはそのままの救いですよという言葉はよく聞く言い方です。 この「そのまま」というのは、二通りの意…

真実の証は、阿弥陀仏の行と信からあらわれたもの(さとるさんのコメント)

さとるさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。エントリーが遅くなりすみませんでした。 では親鸞聖人は、 「利他円満の妙位」に即いていたわけではなく、 「無上涅槃の極果」のさとりを得られていたのでもない、 ということでしょうか?御己…