安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「わが心にまかせずして心を責めよ」(御一代記聞書)とは?(カウフマンさんのコメント)

カウフマンさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「わがこころにまかせずして、こころをせめよ。仏法はこころのつまるものかとおもえば、信心に御なぐさみ候う」と、おおせられそうろう。と蓮如上人御一代記聞書にありますが、ここで「ここ…

「その籠を水につけよ」と蓮如上人がいわれた意味は?(頂いた質問)

メールで頂いた質問に答えます。 「聞いても他の人のように正確に覚えていないんです。だから、私のような者は、聞きに行ってもどれだけ意味があるのかわかりません」と、ある人に打ち明けたところ 「だから、蓮如上人は「そのカゴを水につけよ」と仰せです…

勤行の意義は、よく聞きわけて信をとりて、聖人の御前でよろこぶこと(みかみさんのコメント)

みかみさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 勤行についてですが、私には恥ずかしながら、朝晩、毎日するのは、たいへんだと思う横着な心がございます。 下記のような心で勤行をしてしまいます。 救われる足しになる(宿善になる)のだから…

「信仰が進む」という言い方について考える(みかみさんのコメント)

みかみさんよりもう一つ質問を頂きました。 「あの人は、信仰が進んだ人だ」などと、「信仰が進む」という表現を、親鸞会で、よく聞きましたが、なぜか私はその表現が好きになれませんでした。 いわゆる横の線を縦の線へ向かって進んでいくということなので…

阿弥陀仏の救いに向かって行動する前に大事な事(みかみさんのコメント)

みかみさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 阿弥陀仏の救いに向かうとは、実際、どのような行動をおこせばいいのでしょうか。 「聴聞、勤行、念仏を称える」といった行為でしょうか? それとも、阿弥陀仏の本願を建てられれている有難い御…

聴聞とは、法を聞くことです(全くわからないんですがさんのコメント)

全くわからないんですが さんから、コメントを頂きました。有り難うございました。 親鸞会という団体では以下のように教わっています。こういう話「仏願の生起」を本から末まで聞いて、疑いの全く無くなった時が決勝点??を、まじめに言われるのなら、おか…

聞法求道に疲れてしまう理由を考える(フーテンの虎さんのコメント)

フーテンの虎さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 聞き始めは、自分は死後の世界は存在すると信じていたので、この世でそれがはっきりするとお聞きし、また、後生の一大事があるぞ。この世で解決できなければ、大変なことになるぞ。 と教…

地獄に堕ちないための本願か、往生浄土の本願か(フーテンの虎さんのコメント)

フーテンの虎さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 私は今まで、死んだら地獄、一切衆生必堕無間、とお聞きして、本当なら恐ろしいことだし、この世で解決できるともお聞きしたのでこれまで求めてきました。最近、あるサイトで、地獄に堕ち…

「仏法を求めることは法鏡に近づくこと」ということについて、救われたいという強い気持ちを起こさねば救われないのでしょうか?について(みかみさんのコメント)

みかみさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 2つ質問を頂きましたので、順番に回答をします。 質問1 1.仏法を求めることは、法鏡に近づくことだと聞きますが、これは、本当なのでしょうか。自分の姿が知らされてくるのでしょうか。(み…

「善をすれば、無常と罪悪が知らされて・・」をすると無力感におちいる件(ついでに言わせてさんのコメント)

ついでに言わせて さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 私自身は、目的は、厭離穢土、欣求浄土、死後は六道輪廻、善をしていくうちに無常、罪悪が知らされ、救われるのではなく、阿弥陀仏に疑情を晴らしていただく事と思っていました。(…

更に親鸞珍しき法をも弘めずについて(なるほどさん、Kさんのコメントより)

なるほどさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 前回のエントリーのKさんのコメントとも関係があると思います。以前のエントリーのコメントでこのように書きました。 >ぺんぺん草さん 現生正定聚は親鸞聖人独自の釈顕です。 それを前提に…

即得往生住不退転の解釈について(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 18願成就文の「即得往生住不退転」は親鸞聖人まではどのように解釈されていたのでしょうか?(Kさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090814/1250242562#c1250404563 親鸞聖人以前の…

説法しているのは南無阿弥陀仏(みかみさんのコメント)

みかみさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 高森会長をよく知る方に聞きたいのですが。 会長は、説法のあとの中休みのときなど、短距離走を全力で走ってきた感じではぁーはぁーと息をしていると以前、聞いたことがあります。 つまり、それ…

阿弥陀仏の本願は、救われたいと思わせる願ではなく、救う本願です(Ruさんのコメント)

多数コメントを頂いております。有り難うございました。 順次エントリーで書いていきますのでよろしくお願いいたします。Ruさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 ただいまと聞けど聞けど、助かりたいとか、極楽行きたい気持ちが全く出ない…

現生正定聚は親鸞聖人の体験からの解説(ぺんぺん草さんのコメント)

ぺんぺん草さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 11願は、文字通り読めば、浄土に生まれた者を正定聚の位に入れる約束である、 ということでしたが、では、なぜ親鸞聖人はこの世で信心を頂いたと同時に、 正定聚の位に入れる、と言われた…

ただ今救われる本願に、ただ今救われないことが大事な疑問(質問です。さんのコメント)

質問です。さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 ただ今阿弥陀仏に救われて下さいというフレーズが、毎回のように出てきますが、私たちの知りたいのは、そこなんです。 どうすれば、ただ今救われるのですか? 阿弥陀様にまかせておくしかな…

どれだけ罪悪を実感しているかは、阿弥陀仏の救いとは関係ありません

罪悪感に深さというものがあるならば、(略)何もないというか浅いのです。(仏法聞いていない人よりも浅いかも…)こんな状態で本当に大丈夫でしょうか?今信心決定できる対象に入ってるのでしょうか?阿弥陀仏の見抜かれた自己とあまりに隔たりがあるのに、…

動物や魚の命は死んだ後どうなりますか?(まあくんさんのコメント)

まあくん さんからコメントを頂きました。有り難うございました。 真宗の信心とは直接関係ありませんが、エントリーの形でお尋ねにお答えします。 ちょっと宗教のことで伺いたいのですが、野生動物(熊・鹿・野鳥・イルカ・クジラなど)と家畜(牛・豚・鶏)…

願力によって思わせていただけることとはどういうことか(匿名さんのコメント)

自力の心が邪魔になるという実感は阿弥陀仏のみ心を願力によって思わせていただけるということになりますの意味をもう少し詳しく教えて下さい(匿名さんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090807/1249637888#c1249814781 自力の心とは、阿弥陀仏…

阿弥陀仏の11願と18願について(ぺんぺん草さんのコメント)

ぺんぺん草さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 阿弥陀仏の11願と18願は、それぞれ、どんなことを誓われた約束だと理解すればよろしいでしょうか?(ぺんぺん草さんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090807/1249637888#…

自力の心に驚くとはどういことか

「自力の心に驚く」という回答がありましたが,このことについてもう少し詳しく教えて頂けないでしょうか。また,自力の心のことを阿弥陀仏の本願を疑う心,疑情ということも述べられていましたが,実感として私はこれが救いの邪魔をしているというふうには…

一人一人のしのぎについて追記

前回のエントリーの追記です。 阿弥陀仏の救いを求める同じ仲間を、法友とか、同行・同朋といいます。 そのように、共に求め、一緒に弥陀の浄土に往くということを、真宗宗歌にも歌われています。 わがはらからに伝えつつ 御国の旅をともにせん(真宗宗歌) …

往生は一人一人のしのぎとは、一人一人に阿弥陀仏が願を建てられたということです。

阿弥陀仏に向かっていても、救われる人と救われない人がいるのではないかと思ってしまいますが、どうでしょうか?(頂いた質問) 回答します。 この世に、阿弥陀仏に救われる人と救われない人と二種類の人間がいるのではありません。一人一人が、既に阿弥陀…

信心の沙汰とはどういうことか?

信心の沙汰とは何でしょうか?信心の沙汰が大事と言われていますが、具体的に何をするのかよくわかりません。(頂いた質問) 回答します。信心の沙汰とは何をするのかと言うことを、蓮如上人は御文章にこのように書かれています。 一月に一度なりとも、せめ…

雑行雑修自力の心を振り捨てるとは追記

前回のエントリーに追記をします。 もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて(領解文) 自力の心を振り捨てよと言われると、「自力の心がふりすたった自分」にならないと救われないように思いますが、それは違います。「自力がふりすたった自分」という条件…