安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

獲信と利益について(ぺんぺん草さんのコメント)

ぺんぺん草さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 今回の回答で、信心獲得と入正定之聚とが同じと言われていますが、なぜ同じなのでしょうか。それぞれ意味がちがうと思います。(ぺんぺん草さんのコメント http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/…

信心は、往生浄土の因です(ぺんぺん草さんのコメント)

ぺんぺん草さんからコメントを頂きました。有り難うございました。 救われたのと信心とは因果関係にない、ということですが、それは違うように思います。親鸞聖人が「正定の因はただ信心なり」と「正信偈」に言われているのだから、やはり因果関係にあるよう…

救われてから疑い晴れるという言い方について(ぺんぺん草さんのコメント)

ぺんぺん草さんよりコメントを、頂きました。有り難うございました。 改めて、引用された部分を読んでみますと、 救われてから疑い晴れるかのように読めます。もし、そのように考えているのであれば、 往生一定の身に救われた →往生一定とハッキリする →往生…

「自力の心を振り捨てよ」とはどういう意味か(Rudelさんのコメント)

Rudelさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 毎日、御文章などを読むと、「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて」とよく書かれてますが、そのところがどうしてもよくわかりません…蓮如上人がおっしゃっている「ふりすてよ」の御心に…

五雑行と「これは外道なり」の違い(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「五雑行は行い自体悪いから捨てよ」と教えられてきたのは、親鸞聖人の教えとは違うということでしょうか?(maryさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090723/1248323366#c1248357…

神社の行事に参加する行為によって阿弥陀仏に助けてもらえなくなるのではありません(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。ほか、コメントを頂き有り難うございました。 自分ではないつもりでいても、鬼神の禍福を信じる心が奥底に深く大きく根付いているのではないでしょうか? この迷った心は信心決定しても変わらない…

子供が神社の祭りに行かねばならないときはどうするか?(フーテンの虎さんのコメント)

フーテンの虎さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 実はわたしには小学一年の息子がいます。 年一回、地元で神社主催の祭りがあり、それに出なければ友達からいじめにあうかも知れません。どうすればいいでしょうか。 http://d.hatena.ne.j…

浄土真宗の要とはなにか?(Kさんのコメント)

ここでいわれる真宗の要とはどのようなことでしょうか?(Kさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090718/1247904812#c1247911593 前回のエントリーの中で、歎異抄をひらくも、なぜ生きるも真宗の要が書かれていないと書きました。前回書いた真…

知らされるが自己の姿ばかりでは二種深信とはいえません(歎異抄をひらくを読んで思うこと)(S会会員さんのコメントから)

S会会員さんから以前頂いたコメントについて思うことをエントリーします。質問コメントではありませんでしたので、私の思うところです。 思うに昔、会長の話を真剣に求めていたころ、自分は罪悪深重のものと思おう、思おうとしていたことを思い出します。 無…

私から弥陀をたのむではありません2

前回のエントリーの追記の形でエントリーをします。 「弥陀をたのめ」ということについて、別の形でエントリーをします。 阿弥陀仏の方から、「弥陀をたのめ」といわれるのだということを前回かきました。私がお願いしてから、阿弥陀仏が助けて下さるのでは…

私から弥陀をたのむのではありません(メールで頂いた質問)

安心問答読ませていただいてる時や、御文章や正信偈を拝読している時は、阿弥陀仏を信じているような気持ちにもなれ、阿弥陀仏に心が向きますが、どうかすると、阿弥陀仏の存在や本願、今救うという御心を「本当だろうか」という気持ちになってしまいます。 …

そのまま救うのそのままとは何か(orimaさん、メールで頂いた質問)

orimaさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「そのまま救う」の「そのまま」が分からないです(何もしないということでもないと思いますし)。自分が何を間違っていて救われないのか分からないです。これも自分の心の動静に目が向いている…

同じ所をグルグル回る理由(Rudelさんのコメント)

Rudelさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「変わらないはずの自分の心を一生懸命変えようと頑張っていくと、阿弥陀仏の本願に心がかからなくなります」 「力んでみたり、もうわからんとなるのは、自分の心に振り回されているのです」 こ…

素直にわかりましたと素直になれるから助かるのではありません(orimaさんのコメント)

orimaさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 どうしたら与えるといわれる行を、素直にわかりましたと受け取れるのでしょうか。南無阿弥陀仏を頂こうと力んでみたり、もう分からんとなってみたり、繰り返しているような感じです。(orimaさん…

善知識にあいてその教を受けてとはどういうことか(orimaさんのコメント)

orimaさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 出されている御文章の「善知識にあいてその教を受けて」とはどのようなことでしょうか。聞く一つ、南無阿弥陀仏の名号を受け取る一つ、ということが分かりません。(orimaさんのコメント) http:…

なぜ生きるの本にある「機の深信」は罪悪観と混同しているのか?について(S会会員さんのコメント)

S会会員さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 『なぜ生きる』という本に、 ・無明の闇が晴れると、自己の姿がハッキリ見える。 これを「機の深信」といわれる。聖人には、自己の告白が多いが、みな機の深信である。いくつかを紹介しよう。 …

比叡山の修行で罪悪観が深まって救われたということはありません(papaさんのコメント)

前述のエントリーで議論がされている中のコメントについて、エントリーします。 S会会員さんのコメントに対する、papaさんのコメントです。 「罪悪感を掘り下げていった先に機の深信があるとは会長が言ったことはないと思います。」と書かれてありますが、6…

聞とはなにか?(orimaさんのコメント)

orimaさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 聞と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて、疑心有ること無し。これを聞と曰うなり。のお言葉について教えて頂けませんでしょうか。(orimaさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/…

絶対わからないものではありません、疑心有ることないのです(S会会員さんのコメント)

S会会員さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 機の深心とは『阿弥陀仏のお力によらなければ絶対に流転輪廻から抜け出せる自分でなかった』と知らされるというようなことを言われているんでしょうか? もしそうなら二種の深心とは絶対矛盾…

心常念悪と疑い晴れるのではなく、出離の縁あることなしと深信します(メールで頂いた質問)

あるブログをみていると 心常念悪を心常念悪と疑い晴れたいうことは、はるかに人智を超えている。ちょっと聞いて分かることではありえない。 http://blog.goo.ne.jp/345shigure/e/f6a21f4d71ec1e93bd2f869df9d32798 とありました、私もそのように考えていた…

どこに向くかが大事(メールで頂いた質問)

前回のエントリーについてメールを頂きました。有り難うございました。 自力の心は起きるときは起きるものですとお聞きしましたが、それはやはり、起きるまでには時間が掛かるということではないのですよね? そこを問題にせず、ただ今救う阿弥陀仏に、ただ…

自力探しと宿善まかせ(メールで頂いた質問)

今救われよう、南無阿弥陀仏を頂こうと思って(力んでいるような感じですが)、どうして今救われないのだろうと思ってみるのですが、正直、何も感じられないような感じです。自惚れているからなのでしょうか?(メールで頂いた質問) 回答します。 何も感じら…

自力とは何か(papaさんのコメント)

意識を空から見た氷山の一角とすると、救われるとは氷山全体が認識できるようになる(私全体がわかる)のかと思っておりましたが、 そうではないようですね。 自己がはっきり認識できなくても救われるという理解でよろしいでしょうか? また意識=自力ではな…