安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧

煩悩という執着がなくならない世界での救い(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 何か私が救いとはこういうものだというものを持っているかのように思われるかもしれませんが、そうではありません。 救いようがない絶望的状態であって、それでもなおかつ、何とかしたい、なんとかで…

「救い」とは何か?(Kさんのコメントより)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 執着がなくならなくても、私という自我がなくなっても、南無阿弥陀仏のはたらきで、阿弥陀仏の浄土へ往生に往生するのです。 http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090528/1243498357 それは本当でしょ…

阿弥陀仏の救いとは何か?(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 無量寿とは仏とは常住の極楽とはどんなことなのか、というのは阿弥陀仏の救いは何かということなのですが、それが私が求めることに応え得るものかどうかがはっきりしないので知りたいです。元々は、…

認知症になっても救われるでしょうか?(メールで頂いた質問)

メールで頂いた質問についてエントリーをします。 人間認知症になっても救われるのでしょうか?(メールで頂いた質問) 回答します。 認知症を質問された方がどのように感じて質問をされたかについては、各人によって変わるとことですが、「○○だから助からな…

自分を追い詰めて活動しないと助からないのでしょうか?(メールで頂いた質問)

メールで頂いた質問ですが、大事な内容だったので、みなさんにも知っていただきたいと思い、エントリーします。メールの文章は一部改変しています。 「阿弥陀仏は機に応じて救ってくださるから、親鸞聖人みたいな修行をできる人でないと救われないということ…

Kさんのコメントについてお尋ね

K 2009/05/21 23:01 次に、仏法で教えられる無量寿とは仏とは常住の極楽とはどんなことなのかということが問題になってきます。本当に私の求めているものなのかどうか。なのでここは私にとっては重大なところに思えます。(Kさんのコメント) http://d.haten…

どう思えば・・?と思った心が自力です。思えないのは自力ではありません(花さんのコメント)

花さんよりコメントを頂きました。ありがとうございました。 どうすればたすかるか?答えは自力を捨てればたすかるということはわかりました。自力とは、今阿弥陀仏は助けて下さると手を下げておられると聞いても、今ですか?ただで助けて下さるのですか?そ…

無理につらい聞法をおわらせるのが阿弥陀仏の救いではありません(メールで頂いた質問)

メールで質問を頂きました。有り難うございました。 阿弥陀様のような慈悲深い仏様なのだから、ぱっぱっと今生で、みんなきれいさっぱり助けてくださればいいのにと、ついつい思ってしまいます。 どうして、救いに前後があるのだろう? 今生で救われる人とそ…

菩提心とはどんなものか(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。 質問お願いします。 (1)上記『何とか弥陀の浄土に生まれたいという最初の心を菩提心ともいわれ』とありますが、本人にはっきり「今菩提心が起きた(最初の、と書かれているので)」と自覚が起きるということでしょう…

雑行と諸善万行の関係と信仰のバロメーターについて(花さんのコメント)

花さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 ご回答有難うございました。私がどうしたら救われるかが大事だと教えて頂きました。私が救われるには雑行をすてなければなりませんが,五雑行は捨てています、しかし諸善万行はどう捨てればよいので…

阿弥陀仏は真剣に聞法させるといわれているのかについて(1さん、Kさんのコメント)

前回のエントリー(菩提心とはなにかについて(1さんのコメントより) - 安心問答(浄土真宗の信心について))についてのご質問です。 どうして浄土に生まれたいと阿弥陀仏の19願力でさせられて、『ここ一つ聞き抜かねば』となりますか? 19願文には阿…

南無阿弥陀仏はどういう人を救うために成就されたのか(花さんのコメントより)

花さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 阿弥陀仏は十方衆生を助けるために南無阿弥陀仏を成就してくださいました。仏様の慈悲は苦ある者に偏に重しと聞かせて頂きましたが人生は楽なりと思っている人より、人生苦なりと苦しんでいる人が先…

菩提心とはなにかについて(1さんのコメントより)

1さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 分かりにくい内容で申し訳ございませんでした。 以前宮田さんは、菩提心とは、ただ今弥陀に救われたいとここ一つ聞きたいの問法心と答えておられましたが宮田さんの言うことがコロコロ変わっている…

死と無量寿について(Kさんのコメント)

死についての苦悩は、直接的には阿弥陀仏の救いとは関係ないということなのでしょうか? 私が思うには、「無量寿」ということです。 それこそが私の求めているものだと思うのです。そういうこととはまた違うのでしょうか?(Kさんのコメント) http://d.hate…

阿弥陀仏の願力によって善をさせられるのかについて(Tさんのコメント)

Tさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「阿弥陀仏の19願の願力、20願の願力によって、阿弥陀仏が18願の世界に出させて下さる」(「聴を通らなければ聞には行けない」のでしょうか?(メールより) - 安心問答(浄土真宗の信心につい…

「聴を通らなければ聞には行けない」のでしょうか?(メールより)

メールを頂きましたが、内容が大事なことだと思い、エントリーします。 「聴を通らなければ聞には行けない」「弥陀の三願のみ心一つを釈尊は45年間説かれた。聴とは仏教のすべてをきくこと、まずは因果の道理から。きいておるだけではだめ。実行しないと。…

自分の死と向き合うことについて(Kさんのコメントより)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 山も山様は自己の死と向き合うことと阿弥陀仏の救いの関係についてどのようにお考えでしょうか?よろしくお願いします。(Kさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090517/1242512867#…

雑行をすてて弥陀をたのむのが信心です

Kさんよりコメントを頂きました。 しかし、今、今、といいながら月日が流れてしまっています。知らされることは色々ありますが、それを積み重ねて救われるのでもないですし、やはりまだ何か足りないのではないかとか今はまだ無理とかの思いがどうしても出て…

宿善の有無が問題になるのは、宿善の意味によって変わります(Kさんの質問)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 自分には宿善があると思うのはよいことなのでしょうか?思ったほうがよいのでしょうか?自分は無宿善と自覚し、だから宿善を厚くしなければと奮起するのがよいことのように聞きますし、自分は宿善が…

罪悪深重を自覚してから助かるのではありません(メールより)

やはり罪悪深重の姿を知らされて、堕ちる者だと自覚した人でないと、計らいをなくす事はできないと思うし、そういう気持ちになる人は宿善が熟した人だから、そう思えない私はやはり宿善というものが足りなくて、まだ名号は頂けないのだ、と思うのです。(頂…

南無阿弥陀仏を頂こうとする心(メールより)

メールを頂きましたが、大事な内容なのでエントリーとして紹介します。 南無阿弥陀仏の偉大さ,功徳の大宝海,阿弥陀仏がものすごい修行を積み重ねられて完成された南無阿弥陀仏に思いを馳せる時,ものすごいギャップを感じてしまい,「私が本当になれるのだ…

聴聞とは煩悩との戦いなのか?(メールより)

前回のエントリーに関連して、メールを頂きましたので回答します。 御法話で 「二河の道を進んでいくのは煩悩との戦いであり,煩悩が邪魔になる,罪悪をおそれる。その畏れてる者に「畏れるなー」という弥陀の呼び声が届く」と聞きましたが,それはどういう…

煩悩と戦うのか?求道の相手について(メールで頂いた質問)

善導大師の二河白道の譬えで,二河の道を進んでいくのは煩悩との戦いであり,煩悩が邪魔になる,罪悪をおそれるとあります。その畏れてる者に「畏れるなー」という弥陀の呼び声が届くと聞いています。ここで言われる煩悩との戦い,煩悩が邪魔になる,罪悪を…

聞法心は阿弥陀仏によりおこさせられるもの(迷い猫さんのコメントより)

迷い猫さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 せっかく願力で起こされた尊い聞法心を、自力と決めつけ捨てようとするのは、大変もったいないことです。捨てようとするものがらが違っているから堂々巡りになるのは当然です。 聞法心がなけれ…

言葉にできないと、心も言葉もたえたの違い(メールでの質問)

メールで頂いた質問ですが、大事なところなので、ブログにもエントリーいたします。 信心決定の一念の時には、暗い心が一瞬でパッと明るい心に切り替わる様に感じる(ちょうど暗い部屋で電気をパッと付けたイメージ)のだと考えていたのですが、このイメージ…

往生の正因は悪人と知らされることでしょうか?(名無しさんのコメントより)

名無しさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、最も往生の正因なり。他力をたのみたてまつるためならば、悪人と知らされたものでなければなりませんが、自己を善人と思っている人でもただ…

「信ずる心がない」という言葉について(迷い猫さんのコメント)

迷い猫さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 これは「信ずる心がない」という言葉だけが先行して、自分の心を見つめる前に、結論を先に出しているからおきる疑問だと思います。 (邪見憍慢の者が本願を信ずるということについて(メ…

善悪にこだわるのは倫理であって、阿弥陀仏の本願(悪人正機)ではありません

メールで頂いた質問の中で、質問以外の部分で思うところが有りましたので、エントリーをします。 過去無量劫から弥陀の本願を疑い続けてきた,そして今も疑い続けている心があると思います。煩悩でつくりにつくった恐ろしい悪ももちろんですが,何よりも弥陀…

邪見憍慢の者が本願を信ずるということについて(メールでの質問)

メールで頂いた質問です。 信じよう信じようとしても信じられません。当たり前のことです。もともと信ずる心などないところから出てくる心ですから。 なぜこんな自力の心が出てくるのでしょうか。邪見・憍慢だからでしょうか。自分で何とかすれば助かると己…

後生に驚く、真剣な求道とは強迫観念の代名詞ではありません(メールの質問)

メールで質問を頂きました。質問までの文中でブログを読まれる方にも知っていただきたい内容がありましたので、抜粋して回答します。 お勤めも,真剣にできたためしがありません。「こうやってお勤めしていれば大丈夫だろう」という自力の心も見えます。もし…