安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

信心決定し、報土往生するのが浄土真宗(メールで質問)

メールで質問を頂きました。有り難うございました。 友人が急に次のように言ってきたのでびっくりしてしまいました。 「自分はけど往生出来る身になったから、そんなに急げ急げ、今の救いと心配しないでいい」 そこでお尋ねしたいのですが、 真宗では化土往…

「助かる自分と思う心」文字にすれば2つあります(カナダ人さんのコメント)

カナダ人さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 私は、長らく「助かる自分だと思う心」を自力の心だと思ってきました。だから、どうしても廃らない「助かる自分だと思う心」をふりすてようとしてきました。 私は、自力の心を取り違えていた…

助かる自分という心が無くなったらどうなる?(カナダ人さんのコメント)

カナダ人さんよりコメントを頂き有り難うございました。 なるほど私は邪見驕慢(煩悩)の親玉で、三世の諸仏の悲願に洩れて捨て果てられ、本願にも除かれている機である、と懇ろに聞かされても、今となっては「今さらそれがどないしたん」「そんなことどうでも…

カナダ人さんのコメント

カナダ人さんからコメントを頂いておりますが、明日の朝にはエントリーしますのでよろしくお願いします。 回答が遅くなり申し訳ございません。

何を助けるのが阿弥陀仏の本願か?(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 結局、何を助けてもらうのでしょうか?助けてもらわないといけない私なのでしょうか? それがはっきりしないと、真剣に弥陀をたのめないように思います。後生はっきりしない心を、後生明るい(極…

助からなかったらどうする?という心はどういう心か(カナダ人さんのコメントより)

カナダ人さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 1「後ろ髪を引かれるような思い」とか 2「私の心を引き留めて進ませない」というのは、どういう心でしょうか? http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090325/1237971690 という質問に対して、…

ただ今救われたらと、ただ今救われなさいの違い(maryさんのコメントより)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「今救われたらそれでよい」ではなくて、「今救われなさい」と教えておられます。 (「信心決定あれかし」というおすすめ(ドイツ人さんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について)) と…

後ろ髪引かれる心とは?(カナダ人さんのコメント)

カナダ人さんよりコメントを頂き有り難うございました。 1.「何に」対して「どのように」反駁するのでしょうか? 2.「何に」対して「どのように」躊躇するのでしょうか? とのお尋ねに対して自分の心を見つめてうち出させて頂きます。 1.2共に「何に…

「宿善も遅速あり」という言葉の意味(ドイツ人さんのコメントに関連した質問)

前回のエントリー(「信心決定あれかし」というおすすめ(ドイツ人さんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について))について 要点をまとめると、 ・信仰に段階はない ・今救われたらそれでよい ということでしょうか? (ドイツ人さんのコメント) …

本願を疑う【悪】と「悪」の違いについて(maryさんのコメントより)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。回答が遅くなり、申し訳ございませんでした。 本願を疑う心が、そんなに悪いとは思っていないのは、やはり阿弥陀仏の御心がよく分かっていないからなのでしょうか・・・? (maryさんのコメント) …

反駁する心、躊躇する心とは?(カナダ人さんのコメントより)

カナダ人さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 阿弥陀仏に信じてうちまかせようとして、 1.実際に「弥陀たのむ」身になりましたか? 2.なれないとした時に、おきた心を打ち出して見て下さい。 とのお尋ねに私のありのままを書かせてい…

「信心決定あれかし」というおすすめ(ドイツ人さんのコメント)

ドイツ人さんからコメントを頂きました。 要点をまとめると、 ・信仰に段階はない ・今救われたらそれでよい ということでしょうか? (ドイツ人さんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090322/1237672765#c1237732967 信仰に段階はないというこ…

阿弥陀仏を信ずる心がないのは、「まことのこころ」がないのが本当だから(カナダ人さんのエントリー)

カナダ人さんにお尋ねした件について、コメントを頂きました。その部分についてのエントリーです。 「この私をただ今救うだけの力がある、とはこの私は思っていないのです。」というのは、他の人を助ける力はあるけれども、「この私を」助ける力は阿弥陀仏の…

段階はあっても「信・不信」の二つです(ドイツ人さんのコメントより)

ドイツ人さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 100通り、というのは、疑いに100あるのではありません。その人の感じ方が100通りあるのではないか、ということです。 それと、もし段階がないのなら、真剣に疑情が問題になっている…

「この私を」救う力が阿弥陀仏にはないというのは、「この私だけ」でしょうか?(カナダ人さんのコメント)

カナダ人さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 阿弥陀仏の本願に向かったときに、「有り得ない」という心が起きると言うことについて、どういう心なのかをお尋ねしました。 ただ今救う本願には、この私をただ今救うだけの力がある、とはこ…

有り得ないとは、どういうことが有り得ないのでしょうか?(カナダ人さん、ドイツ人さんのコメント)

カナダ人さんからコメントを頂きました。有り難うございました。 「ただ今救うの本願」に向って救われようとするとき出てくる心を飾らずに、カッコをつけずに、勇気を出して、敢えて打ち出しますと、現実的に私の身に「そんなことは有り得ない」「そんなこと…

智慧才学は不要ですが、雑行は捨てるのが信心です(姥さんのコメントより)

姥さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 知恵、才覚、なにも要らない唯一向に弥陀にすがってくれよよの約束ですね。 (姥さんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090311/1236723319#c1237342963 回答いたします。なにも要らな…

仏智疑う罪とはどんな心か?(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 『仏智疑う罪ふかし この心思い知るならば 悔ゆるこころをむねとして 仏智の不思議を頼むべし』(正像末和讃) の、『この心』とは、どんな心でしょうか?『仏智疑う罪がふかい』とは、どのように…

「ただ今救われる」と「救われると思う」ことの違いについて(maryさんのコメントより)

『今救って下さるんだ、と思おうとしていること』と『今救われることが目的』というのは、なにか違うのでしょうか? (maryさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090315/1237071598#c1237284874 「今救われると思う」ということと「今救われる…

ありのままに言うとはどういうことか?(カナダ人さんのコメントより)

カナダ人さんからコメントを頂きました。有り難うございました。 kさんが、「今救われてください」と言われて、「はい」というのには躊躇するといいますか、「まだもうしばらく待ってください」・・・という感じです。と、コメントされていますが、私もkさ…

欲や怒りの罪が思えるか思えないかは弥陀の救いの問題ではありません(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 質問させていただきたいのですが・・。 「心で恐ろしい悪を作っているから後生は地獄だと思う」といわれる方が、まわりにたくさんおられます。 私は仏法の聞き始めからずっと罪悪感が薄くて「地獄…

平生も臨終ですから、平生の阿弥陀仏の救いが大事です(maryさんのコメント)

maryさんより、前回のエントリーについてコメントを頂きました。(歎異抄9章の「死なんずるやらんと心細く」の意味について(maryさんのコメントより) - 安心問答(浄土真宗の信心について)) 「心細い」心の説明、大変よく分かりました。ありがとうござい…

歎異抄9章の「死なんずるやらんと心細く」の意味について(maryさんのコメントより)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 信心決定した人が死に向かったとき、真っ暗になる心は出なくなるのでしょうか? また、歎異抄に「ちょっと病気にでもなると、死ぬのではなかろうかと心細くなる」と書かれてあります。 心細いとい…

阿弥陀仏に救われたら「死の恐怖」はどうなる(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 友人の訃報を聞いた時、自分が死ぬのではないかと思ったとき、心が真っ暗になって、底知れぬ恐怖と、死にたくないという突き上げるような衝動と、底知れぬ不安を感じたことが、過去に何回かありま…

ただ今弥陀に救われる、そのための聞法(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 今日こそ信心決定しよう、と思って聞くと、実は「別に自分は助けてもらう必要はない。何にも困っていない。」という心があります。 頭(知識)では「今日が最後かも知れない。今この場で名号を頂…

阿弥陀仏の仕事と私の仕事、区別をつける心を自力といいます(最後の学徒さんのコメント)

最後の学徒さんからコメントを頂きました。有り難うございました。 (略) この回り続ける心一つ、過去も、今も、これからも流転を重ねる姿と思わずにおれず、 呆れながらも、放ってはおれない気持ちです。 逃げてはならないとはいえ、逃げたくなり、逃げた…

どうしたらの前に、どうなりたいかが大事です(orimaさんのコメント)

orimaさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 今のままの自分をただ今救う本願に、どうしてこうしている今でも救われないのだろうと思っています。 ○○したらやがて、とは思わないのですが、自分がどこを間違っているのだろう、救われた方と何…

逆謗と自力の関係について(最後の学徒さんのコメント)

前回のエントリーについて、最後の学徒さんより質問を頂きました。 【十劫の昔から、それを見抜いて本願を建てておられるのです。しかし、それは棄てものです。】十劫の昔から、見抜かれているのは、本願を計らう私だということでしょうか。 弥陀は、私を唯…

「聴聞しなくても救われる」「聴聞したら救われる」ということについて(悲しい気持ちさんのコメント)

2009-03-02のエントリー(真剣な聞法は、手段であって目的ではありません(フーテンの虎さんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について))に悲しい気持ちさんからコメントを頂きました。 昨日の御法話で、二千畳に来て一日座って寝ているだけでも善…

善知識の教えに信順と、善知識に心酔は違います(よこやりさんのコメント)

よこやりさんからコメントを頂きました。有り難うございました。 「どんなことがあっても先生からは絶対離れたくない。」とか「先生がおられなくなったら自分の人生も終わりだ」とか「先生のご恩を返しきれない」とか言われる方々の言葉を聞くと、自分の気持…